2009/11/29

戦略思考と組織文化

nippon2250戦略思考と組織文化

戦略ということばは、政権交代で国家戦略局という役所ができたことで、それなりに市民権が得られているようでもあり、実は戦略なんて大げさなことを言うという揶揄する人々もいるというように、日本社会ではプラスイメージに捉える人とそうでない人に2分されるようです。
戦略は戦争遂行のための手段というオリジナルの意味がありますが、ここでは、ある目的達成や成功のために必要な手段をそろえることとどうしてその成功という結果が見込めるかのロジックを説明することをいうと定義しましょう。

グリーン革命と戦略思考

「グリーン銘柄」という言葉がありますが、いわゆる環境関係の株の銘柄ですね。これが環境関連株として最近日本でも高くなっていますが、そう単純に株高人気の背景に環境だけを見ていて果たしてよいのでしょうか?
たとえば、世界的に特に注目されている、「地球温暖化防止」、「水資源の確保」の観点から、ディーゼルエンジン、原子力発電所、海水淡水化プラント、水処理の関連銘柄が挙げられることがよくあります。アメリカでも同様で、太陽電池大手のファースト・ソーラーとか、電気自動車の電池関連でのリチウム大手のA123システムズなどは連日大幅値上がりしているようです。
しかし、このようにグリーン銘柄に関心と期待が高まっているのは、米オバマ政権が「グリーン革命」を標榜していることが大きいことはいうまでもありません。でも「グリーン革命」を最初に言い出したのは、ご紹介するこの本の著者トーマス・フリードマンです。彼は言わずと知れた『フラット化する世界』の著者であり、過去に3度のピュリツァー賞を受賞している筋金入りのジャーナリスト。

その主張は、もはや「グリーン革命」は不可避であるということです。その背景としてフリードマンは5つのファクターを挙げています。

 具体的には、

(1) 途上国で急速に増大するミドルクラス人口(ミドルクラスが求める生活レベル向上が招くエネルギー消費の膨張をフリードマンは「アフルエンザ」と呼ぶ)による膨大なエネルギー消費量の増大、
(2) 化石燃料への依存が招いた産油国と石油独裁者への富と権力の集中、
(3) 温室効果ガスを原因とする気候変動の激化(フリードマンは「地球惑乱」と呼ぶ)、
(4) 生物多様性の激減に対する種としての人類の責任、
(5) 主としてアフリカ大陸に住むエネルギー貧困層の悲惨に対する責任

という5つです。

この「グリーン革命」の成功のために、オバマ政権は積極的に補助金や公的融資を設けるなど「国ぐるみ」で環境関連ビジネスを支援しているわけです。なにも米国だけでなく、欧州各国も環境関連企業への支援策を強め、日本も太陽電池への補助金をあわてて復活したという事情があります。

戦略の違い

2009年9月24日に国連環境計画(UNEP)が日米欧に中国と韓国を加えて13カ国の通信簿を発表。その結果、環境分野に投じた景気対策のシェアは、韓国が首位で79%、12位の日本は6%というわけで、国家戦略の違いがハッキリ浮き彫りにされた現実があります。自民党政権下での環境投資は戦略的でなかったと言えるでしょう。ここで重要なことは、環境投資をすることが、この100年に一度の不況下における社会投資にほかならず、それをすることで、雇用創出効果をもたらすという結果を意識して投資をすることが「戦略」だ、ということです。真の目的は、景気対策あるいは雇用対策ということです。この点、米国は環境対策・投資が雇用対策であることを明確に認識・自覚したうえで、そのための手段を考えていますね。戦略とは、ある目的達成や成功のために必要な手段をそろえることとどうしてその成功という結果が見込めるかのロジックを説明することをいうと定義しましたが、まさにそれがあてはります。
実際、米国太陽エネルギー協会によれば、環境産業が生み出す国内雇用は2007年の900万人から2030年には3700万人に拡大する見通しを明らかにしているのです。米下院が温暖化対策法案を可決したのはこの6月ですが、そのときオバマ大統領は、「勘違いしないでほしい。これは雇用創出法案なのだ。」と言明したのです。つまり、米国が環境保護を重視するのは、エネルギーの海外依存を弱めたり、国内産業を振興するという戦略的狙いがあるのです。

ところが、日本では、国連総会で新しく政権を勝ち取った鳩山首相が25%削減目標を打ち上げて拍手喝さいを浴びても、まだまだ「環境産業の育成を梃子にして実体経済の底上げを図る」というシナリオつまり戦略は描けていないようです。これにより経済のパイを広げてマクロ経済を大きくするという戦略を描き、その中で雇用創出策、雇用不安を抑える広い意味での安全網を国として用意していく、そしてそのシナリオを説明する中で、」国民にそのロジックを簡明にしめしていくことが「国家戦略室」に与えられた使命ではないか、と思われます。つまりこれが日本の成長戦略というわけです。(日経2009年10月15日「雇用はつくれるか(下)」同趣旨)もっといえば、日本のエネルギー・経済保障のために環境保護の取り組みが必要だということです。

日本ではなぜ戦略が生まれないのか?

では、日本ではなぜ戦略が生まれないのでしょうか?

この問題は、実は日本人のマインドセットに原因があると思います。たとえば、ある識者は、温暖化ガスの25%削減率は「欧米よりも格段に高すぎて、まして生活者も交えた国民の議論を経てきめられたものでもない」ので「それを早々と国際公約とは性急に過ぎないか、せいてはことをし損ずる」として不適切だ(吉田春樹氏日経2009年10月14日)というコメントが代表例です。ここでは、国民の議論を経ていないからよくない、という評価なのです。

しかし、このような「和と持って尊し」の考え方では、合議がすべてということになり、政治のリーダーシップが発揮される場面はなくなってしまいます。もし吉田氏一人が反対すれば合意ができない、つまり9人が賛成していても1人が反対すれば物事がきまらないのが日本社会なのでしょう。日本人のメンタリティからすると、どうしても独裁的なリーダーは嫌われるのです。そしてそのうち「時間が解決する」ということで残りの独りもいつのまにか賛成にまわる、あるいは反対を不問に付すということで「和」が達成されるプロセスです。ところが、反対というなら、それではなぜ25%削減が不当なのかというロジックはいっこうに示されないままです。反対の理由はロジックに対してではなく、「和」をもって尊しとしていない、「国民の議論を経ていない」というただそれだけの理由なのです。

ところで、戦略とは、ある目的達成や成功のために必要な手段をそろえることとどうしてその成功という結果が見込めるかのロジックを説明することをいうという定義からすると、そもそも吉田氏のような議論は、戦略的な議論とはいえないわけです。

戦略なき航海の行きつく先は?

さて、戦略なき航海の行きつく問題点は、もうひとつあります。物事を行うときに必ず話し合いの形式を取るために、責任があいまい、つまり分散してしまうことです。本当の意味での責任者が誰だったのか、わからなくなります。みんなの責任なのです。みんなの責任ということは誰も責任をとらないということです。これはリーダーシップの本質に反し、超無責任社会になっていることを意味します。自民党の新総裁が「みんなでやろうよ!」を合言葉に当選したことが思い出されます。

では、企業の組織の中では、どうでしょうか?企業では内部統制の縛りがあります。戦略なき航海は、説明責任放棄ですから、そのような戦略思考なき組織文化は、内部統制上も大きな問題をはらんでいるというべきでしょう。


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